マリナ・デル・レイ・ホリデイ・ボート・パレード |
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2003年12月12日(金)
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・ 幸い天気は上々、明るい日差しの中、マリナ・デル・レイを始めて見るスタッフは、その大きさと船の多さ、環境のすばらしさに驚愕し、しばし、言葉もありませんでした。なぜか、ハーバーを一望に見渡すメキシコ料理の店でゆっくり遅めの昼食をとりました。
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・ ここで、カリフォルニア・ヨットクラブの歴史や現在の活動などを聞きました。 ・ あいにく、にわかTYC代表としては、TYCの紹介や東京湾のヨット・ボート事情をあまり詳しく説明できず、非常に残念でした。TYCの皆さん大変ご免なさい。次回はきちっと勉強して訪問します。(また優勝を狙うか?) ・ ホテルのレストランのようなロビーには、専属シェフの料理が出始め、フロアーのそこここで話をしていたクラブ員がバイキング形式の料理をつまみながらワインを傾けはじめました。一方、窓の外では真っ赤な夕日が窓辺を赤く染めながら沈んでゆきます。有名なホテルのレストランやロビーにも引けを取らない立派なクラブハウス。日本とは比較しようもなく、ただ、感心しながらワインを傾けていました。一段落したところでクラブの中を案内してもらいました。 ・ クラブハウスや専用桟橋のほかに、クラブ専用のオリンピックサイズ・プール、テニスコート4面以上そしてジュニアのためのクラブハウス、ディンギー用のラックなど、日本では到底考えられない規模と施設の充実振りでした。 ・ 17時今度はCYCに継ぐクラブのデル・レイ・ヨットクラブへ移動しました。 ・ 出迎えていただいたのは、コモドアーのMr.ジュリアン・サットニックさん、チェアーマンのMr.ルーカス・ウィレムスさん、そして通訳代わりに引っ張り出された「SUSI A Go-Go」のMr.ヒロ・フナオカさん、その他女性も含め7・8人とお会いしました。
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・ とにかく、次から次とレッドワイン・オア・ワイトワインの連続で、CYCのワインと重なってトゥードリンクとなりました。 ・ ここも、CYCと同じように、ホテルかと見まごうばかりの施設で、やはりオリンピックサイズのプールなどが完備しているとのことでした。 ・ しかし、開口一番、CYCはいかがでしたかという、探るような質問が印象的でした。王者の貫禄をもったCYCに対する、歴史的にも設備的にも2番手的なヨットクラブでした。(失礼!!) ・ とはいえ、日本のクラブは及びもつかない立派さで、うらやましい限りでした。 ・ 記念撮影もそこそこに、シー・ユーでブレイクしました。 ・ 19時30分頃、少年少女のヨットクラブをサポートしているデーヴさんの仲間のパーティーに合流しました。場所はCYC&DRYCに程近い、やはりハーバーを見渡す『トニー・ピーズ』レストランでした。ここでも、デーヴさんの仲間に紹介されましたが、誰が誰だかすぐに忘れてしまいました。しかし、満腹中枢とアルコール中枢が麻痺した状態のため、周りに居る人と片言の英語でしゃべりながらバイキングをつまみレッドワイン・オア・ワイトワインとなりました。さすがに西遊紀の酒豪達も、寝不足とトゥードリンク&トゥーイートの為に、早々に撤退しました。 ・ 22時頃長い一日がブレイク、お疲れさんでした。 12月13日(土) ・ 09時ホテルチェンジ。 ・ 空港近くのマリオットから、マリナ・デル・レイの中心に位置し、マリーナの中にあるホテルでは最高級のリッツ・カールトンへ再度チェックイン。 ・ 10時、午前中早い時間の為部屋の用意ができておらず、ホテルのベルデスクに荷物を預け、念願の『ゲッティー・ミュージアム』へ繰り出しました。 ・ スタッフ全員、博物館関連の仕事をしており、時間があればたくさんの博物館を観に行きたいのですが、スケジュール上この博物館しか観に行く事ができませんでした。その大きさ、建築の立派さ、作品数の多さ、職員の多さ、すべてに感動しながら、ゆっくりと見学しました。 ・ 若干遅い昼食をミュージアム・カフェで済ませ、後ろ髪を引かれながらホテルへ戻ってきました。 ・ 15時30分チェイス・パーク集会所にてHBP VIP レセプション開始予定とのことで、西遊紀の一行はおそろいのTYCネクタイを締めて時間丁度に集合しました。途中、VIP専用となった駐車場の入り口で、日本から来た本日の審査員一行だと告げると、ゲートを開けてくれました。 ・ 時間が早かったのか?実は前日デーヴさんに遅れるなと言われた為、われわれは時間通りでしたが、カリフォルニア・タイムのために、誰も居ない状況でした。また、パーティーの準備も何もなく、受付けだけが手持ち無沙汰のようでした。周辺を散策して16時ころ戻ると、バイキングスタイルの料理がやっと並び始め、少しづつ雰囲気が出てきました。 ・ ここで、突然、マリナ・ベニス・ヨットクラブのコモドアーとバージの交換となりました。突然何がなんだかわからず交換しました。 ・ しばらく写真を撮ったり、バイキングをつまんだり、レッドワイン・オア・ワイトワインそして、ナイス・トゥー・ミート・ユーなどで時間をすごしていると、審査員メンバーに招集が、審査の方法や内容についてのブリーフィングがありました。 ・ 審査方法については、東京と若干違っていて、まず、参加艇は順番にパレードするのではなく、大きな番号をつけ、ランダムにコース上を走っていきます。審査員は審査表の該当番号と艇を見比べながら採点していきます。 ・ 採点表の採点ポイントは、テーマ性、音楽性、アニメーション(活気?)、スピリット(元気?)、演奏、ライティングなどで、日本と違うのは音楽も審査の対象となっており、既製のCDやMDは音楽性の項目で採点しますが、生バンドを乗せた船が多く、その評価は前述の演奏項目で審査することになっていました。 ・ 審査員は2名づつ、違った場所に陣取り目の前を通過する船を審査します。採点結果は、翌日、事務局が集計して発表される方式でした。そのため当日はどの船が優勝艇か分かりませんでした。 ・ 17時30分審査員と関係者は各審査ポイントやパレード観覧船に分乗して定位置につきパレードを待ちました。 ・ 優勝艇は、WSA(ウーマンズ・セーリング・アソシエーション?)の船だったと思われます。
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・ 今回の審査には宮田のみが参加したため、宮田2名が審査艇『Armaje』50フィート程度のフィッシングボートの後甲板で審査を行いました。森、田中は主催者が用意した、かのマイケル・ジャクソン所有の『NeverNeverLand(100フィートぐらいか?)』でパーティーをしながら優雅に観覧していました。 ・ 18時、審査開始といってもいつ始まったのかは分らない。勝手にボートやヨットが目の前を走り抜けていく、これを船の番号を頼りに採点していく。ルール上、2回審査員の前を通り過ぎることになっているが、4回も5回も通る船があるかと思えばかろうじて2回通過したもの、途中でリタイヤしたのか1度きりのもの、ついには一度も姿を現さないものなどがありました。これも、カリフォルニア・スタイルか?結局、45艇程度が参加していました。その他に、正式参加ではなく、勝手に参加した船が審査の邪魔をしていました。しかし、一般の観覧者には多少の混沌とした状況がお祭りらしい雰囲気を盛り上げて、楽しいパレードとなっていました。 ・ パレードの運営や警戒にあたる船や消防署のライフガードボートもイルミネーションを施しサンタのいでたちでパレードの警戒にあたっていました。
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・ 審査の間、審査員は寒い船のデッキで、時々内燃機関用のワインを補給するのみで、簡単なつまみを口にするだけのつらい審査となりました。
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・ 20時、頃合を見計らって審査終了。
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12月14日(日) ・ この日は表彰式。全員TYCおそろいのネクタイでサンタモニカ・ウィンド・ジャマーヨットクラブへ向かいました。 ・ 入り口では、コモドアーとおぼしき方が唯一ジャケット姿でわれわれを出迎えてくれました。案内されて会場に入ると、休日の朝の我が家のキッチン状態で、真っ当にネクタイをしているのは、東京からの4人だけ、短パンにTシャツ的ファッションがほとんどでした。中には寝巻き姿と見まごうリラックスムードの方も・・・。 ・ これもカリフォルニアスタイルか? ・ ブランチ・バイキングが一段落したところで表彰式の始まりです。 ・ まず、始めに、シンディーさんが司会を始めました。その後、審査員の紹介があり、われわれも華々しく紹介されました。前年に優勝した西遊紀の一行で、今回のパレードの審査のためにわざわざ東京から来たということで拍手喝采となりました。 ・ 続いて次々と賞が発表されるものの、審査番号と船の名前、そして表彰される人の名前がピンと来ないため、どれが優勝かは、その時点では良く分りませんでした。 ・ 一通り表彰が続いて、その後、今回の運営に携わった方々の紹介があり、食べ物が少なくなったところで解散となりました。 ・ 解散後、めまぐるしい数日が終わりホッとしたわれわれは、デーヴさんが勧めてくれるベニス運河のファニーボート・パレードを見に行くことにしました。 ・ 集合は、15時30分頃として、一旦、ホテルへ帰り着替えることにしました。 ・ 15時30分ヴェニスキャナル・ボート・パレード観覧。 ・ ベニスキャナルは、思ったより小さな人口の運河で周辺にはおしゃれな小さな家が立ち並び、とてもアメリカとは思えない閑静な住宅地でした。 ・ このパレードは、ローボートのような小さな船に、海賊の衣装やネモ艇長のいでたちの子供たちが乗り込んで、運河の中で遊ぶ催しでした。周りの家の何軒かはこの日のために運河側の部屋を開け、来賓を招いてパーティーを行っていました。小さな浅い運河だからこそできる子供たちを中心にした大人も楽しめるイベント、うらやましい限りでした。
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・ 16時30分、みんないささかお疲れ気味で、デーヴさんに別れを告げ解散となりました。 |
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