台湾レース

   

 


マドカル二世号 船長 土田 明

2010年 台琉友好親善国際ヨットレースに参加した。 
沖縄県石垣港と姉妹港である台湾花蓮港との160海里でのレースである。 
知人の紹介で、クルーの一人としての参加だ。

4/27 石垣入り メンバー顔合わせ歓迎会 
4/28 出港準備 艇長会議 壮行前夜祭 
4/29 1000スタート 台湾花蓮港まで160マイル、制限時間30時間 
4/30 1900フィニッシュ 我等が「信風」は0830リタイア、機帆走にて33時間で入港 花蓮市滞在、近郊観光 
5/04 花蓮港出航 
5/05 石垣港帰国 機帆走にて約24時間で石垣港に入港 
5/06 東京帰宅 10日間の旅を終えた。

天気予報はなかなか渋い 
石垣島も台湾の週間天気予報もお日様マークが無いが、それでも気温27度は嬉しい。 
波をかぶり、日差しが無くて風が10mも吹けば体感気温は一気に10度くらいまで下がる。 
今回のために新調したセーリングスーツとマドカル号の靴置き場から引っ張り出してきたブーツ に、 10年以上前からいつでも引き出せるように階段下においてあったハーネスを持参した。 
パスポートを忘れるとレースには出られない。

参加艇8隻、今回はクルーの一人だからとても気が楽だ。 
乗船するヨットは「信風」号、OKAZAKI 33 CLASSIC 4.5トンである。

東京ヨットクラブから託されたクラブ旗の交換のため、 
八重山ヨット倶楽部事務局のある「カフェタニファ」に、オーナーの栗さんをたずねる。 
栗さんは東京出身でニュージーランドで鋼鉄のヨット(Shizana号)を造り、 家族で太平洋を渡って石垣島に住みついた。 世界中のヨットマンがこの店を訪れる。

 


 
 
カフェタニファ

 


信風
 
 
スタート前

 

 
  0800に合同庁舎の中の出入国管理事務所に行って出国手続きをして、
1000地元NHKのテレビカメラの前のスタートラインを横切った。 
いろいろな問題が起きて、スタートを切れたのは6艇に減っていた。
艇長の指示は、フィニッシュまでオールハンズのフルワッチ、アルコール抜きである。 
スタート直後からのスピンランで、気がつくとすでに夕陽が。

カーボンマストにケブラー繊維入りのセール、 
J-140(45f)のレース艇「Jazz」には、某ドラッグストアのオーナー以下12名が乗っている。 
花蓮の空港から自家用ジェットで帰るらしいと言う話が伝わってきた。

双胴艇の「若水」は、Lagoon470。 
地中海から大西洋太平洋を渡ってきた巨大なカタマランの47Fである。

そして、我等が33fクルージング艇「信風」も、スタート直後からスピンランで食いつく。 
ハンディキャップが大きいだけ優勝の望みは大いにある。 
目指すは総合優勝あるのみ、「Jazz」は水平線のかなたに消えた。

 

 
 
Jazz

 


若水
 
 
夕日

 

 
  出場艇には、イリジウムと言う衛星電話の携帯が義務付けられていた。 
三時間毎のロールコールで、日暮れ前に「Jazz」がリタイアしたと連絡が入った。 
理由はよくわからない。 しばらくすると、ベアマストで反対方向に走るJazzの姿が小さく見えた。

レース中はオートパイロットも使用しないとN艇長は決めた。 
私とは全く違う乗り方だが、これも楽しみの一つだ。 
三人がバウマンで三人がスキッパー要員で、 
「信風」に初めて乗る私は、リギンの取り回しがよくわからないので、 
自然にスキッパー交代要員である。 一時間交代でもフルウァッチだから休みなしだ。 
日没前に、全員ハーネスを付ける。 天気予報通りに雨が降ってきた。 
みな無口になる。 
夜中には追い風10Mを超えた。 
ティラーから手が滑ったら、信風は間違いなく横転する。 
暗闇で、誰かが吐いている。 
33Fは、私にとってあまりにも小さい。

N艇長とは、初対面では無かったと知った。 
今年68歳の彼は千葉県の出身だ。 
9年前にリタイアして岡崎造船で「信風」を造り、すぐに日本一周の旅に出た。 
最近は半年間を沖縄本島の宜野湾マリーナで、 
あとの半年を石垣島で船上生活をしている。 
私を含む多くのヨットマンのあこがれの人生だ。

「始めたのは江ノ島でした」
「私もです」
「レッツゴーセーリングクラブでした」 
「私もです」 
「1975年かな?33の時だから、、、今年で35年目」 
「私は1976年です。絶対一緒に乗っていましたね。 斉藤実さんが1974年からです、ご存知ですよね」

私は、ディンギーを10年やった。 
後半は、シングルハンドグループで逗子に移った。 
N艇長や斉藤実氏は数年でクルーザーグループに移った。 
私は10年後に36Fのマドカル一世を購入してクラブをやめた。

最後の2艇まで食い下がったが、制限時間の30時間に届かないと諦めて 
エンジンをかけてビールで乾杯をしたのが翌日の午前8時半。 
先頭を走っていたが、やはり黒潮につかまってしまった「Saphia」が昼頃にリタイアを決めて、
全艇DNF、ノーレースとなった。 
「信風」も黒潮に流されて最後に花蓮港に入港した頃はすっかり暗くなってしまった。 大
会事務局や入国係官は私達を待っていてくれた。 
入国手続きを終えてそのまま歓迎会場に直行した。

「Saphia」はアメリカズカップの練習用に造られたワンオフの40Fで、 
宮古島からの参加艇だ。 
ほかに、ニュージーランド製の鋼鉄のヨット「Shizana」と、 
沖縄宜野湾マリーナから参加した夫婦二人だけの「TOMO&ELI」はOKAZAKI 37である。

 

 
 
Saphia

TOMO&ERI.

 

 
 
Shizana

 

 
  台湾は10年ぶりだが、花蓮市を訪れたのは30年以上前である。
東海岸は2千メートル級の山がそそり立ち、
滞在中の三日間、夕方大雨が降り、雲で山頂は見えなかった。
ホテルから窓を覗くと、久しぶりに虹を見た。
クルーザー三艇は、とても仲が良い。
14人がいつも一緒に居る。
栗さんの誕生日をチャーハンに蝋燭を立てて祝った。
翌日は太魯閣(タロコ)峡谷にバスツアーをした。
山頂で写真を撮った。
市役所の職員、タクシードライバー、民宿の経営者に船上生活者の艇長、
土建屋の社長と町工場の社長(私)。

 

 
 
祝賀会

 


現地の新聞
 
 


チャーハン

 

 
  ヨットを始めた頃、学生アルバイトのコーチに言われた。
「海の上では陸上のスティタスは役に立ちません。経験だけが物を言う世界です」
陸上では社長さんも専務さんも、
海の上ではたとえ若輩の学生コーチであっても言う事を聞けという意味だと理解した。

楽しい三日間の台湾の滞在は参加者全員の絆を強くした。
スタート一時間前にキャンセルした「Greece」。
日没前にリタイヤした「Jazz」。
前日に台湾一周の旅に出た「若水」。
この朝の帰国組みは4艇に減っていた。
南風をアビームに受けて、機帆走で帰る。
オートパイロットを使い三人づつ三時間交代でアルコール解禁。
これがやめられなくてヨットをやっている。
日没から日の出まではアルコール禁止でハーネスを付ける事だけが艇長指示である。
台湾の海上保安庁が、領海12海里を出るまでついてきた。
日本では食べられない生のライチや青くて小さいが甘くて美味しいマンゴー、
木で黄色く熟したバナナに、お土産に頂いた竹筒に詰めたもち米のご飯が嬉しい。
夜中は満天の星空に、波間には夜光虫が光る。
夜半を過ぎる頃、月が昇り海面を明るく照らす。
マドカル号が恋しくなった。
ゴールデンウィークにマリーナから出る事が無く主を待っている。

帰りは24時間の楽しい楽しい船旅だった。
与那国島の灯台の灯りが見えた頃から携帯電話が自動的に日本のアンテナからの受信に切り替わる。
西表島の建物が見える位の海域を通過しながら、
島で民宿を経営するメンバーの一人が島の大自然を自慢するが、彼も東京出身だ。
滝や珊瑚の砂だまりだけで出来た島や温泉の煙が見える。
沖縄本島の次に大きな島なのに人口が2千人しか居ない事や、
島の生活は大変だとは言うものの、やはり自慢話に聞こえる。

石垣港に入港するとまず検疫官、海上保安庁や税関の官吏がそれぞれの制服でやってくる。
船長は忙しいが、我々は暇だ。
入国管理官が来ないので電話すると、事務所に来るように言われた。
パスポートに帰国の印をもらうと、塩抜きと言って早速呑みに行く。
翌日は大雨。
この日八重山諸島は梅雨入りした。

 

 
 
出発集合写真

信風正面

 

 
 
入国係官