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レース参戦記

Record Of Race Participation

8月4日午前6時、三崎港に集合。今回は乗員6名といつものようにやっと集めたメンバーで参戦することになった。
伊藤、加藤、大島、浦上、榎、そして私、若い榎を除くと平均年齢は60歳に近い。今年は体力が続くかどうかを心配しながらスタート海面に向かった。前夜の中央酒場でのいい加減な計画(戦略という言葉は結果が出てから使うことにしている)とは違って、スタート付近は南南東の微風でおまけに潮が北から強く、スタートしたくなくてもラインを押し出されてしまう。午前7時のスタートはジェネリコ、我々は完璧だったので残念。
10分後に再スタートしたのだが3ノットに満たない風の中をひたひたと城ヶ島沖をポートタックで南下することになった。本部艇側からはAZUSAが飛び出し、我々は同じ浦安から参戦のLaetitia Deuxとアウター側から抜け出したが、この時から今日は長い旅になりそうな予感がしていた。

20分後あたりから風も出てきて、大型艇が足を速めて我々を抜き去っていく、しだいに風が東に回り、潮の影響もそれぞれの艇の行足を左右しているようだ。大島の北東から風早、乳が崎を越えていく大型艇が先行していくのが見える。

我々は早く島の端に取り着いて、潮の影響を避けながら沿岸をベタベタと走る計画であったが、隣にはこちらも上位を狙っているULALAがいるため、ここでは思い切った行動を起こせずにいたところ、午後1時頃になって乳が崎付近では後から来た数艇に追いつかれてしまっていた。

しかし、ここからドラマが始まった(これだからやめられない)。

風は止み、吹いてもシフティな微風で、さらに元町に近づいてきたら風がなくなってしまい、岸から離れると潮で戻されてしまう。

一番岸寄りからスルスルと抜け出したのはDUCK SPEED、その後に我々が風を拾った。

「よし、もらった!」がしかし、このときタイムリミットまで1時間半を切っていた。(神様、風をくれ!)

そもそも、AZ(エーゼット)という艇名は意味を持たない名にしようと考えた。1年前に5名のオーナーが品川駅前のイタリアンに集まって、Middle Boat 選手権とTokyo’s Cupで遊べる中古艇を購入しようと決め、長年お世話になっている浦安マリーナにあったFarr31を購入した。

艇名は5名のオーナーが意識しなくて良いようにアルファベットの最初と最後とした。珍しくほんの数分で合意した。その後「アズ」と呼んだりして愛着もでてきた。一方では、レースに出る意気込みは「トップかドベか」「一か八か」なんていう一部のオーナーの勝負魂が込められた。

旧SARA最終期のメンバーが中心で活動をしているが、当然直ぐには結果は出てこない。相性の良いこのTokyo’s Cup でなんとか上位を取りたいと皆が心の中では思っていた。

さて、良い風をもらったところで、今度は時間との勝負、千波崎沖を南下し、先行するDUCK SPEEDとの差を4タックで詰め、追潮1ノットも手伝ってトウシキ鼻を捕らえたときには抜き去り、残すは1マイル先のフィニッシュラインを横切るだけだった。

しかし、祈りもむなしく、午後5時半のタイムリミットが最後のタックと同時にやって来てしまった。手前の計測では17:36;20にラインを切ったとき誰かが言った。

「ジェネリコの10分を足してくれないかな・・・」。

後の表彰式でわかったことだが、着順は6番手でクラストップだったらしい。残念!

さあ、明日は昼から仕事を入れているメンバーもいる。いつものように夜間回航のために寝よう。

出港は午前0時、三崎には午前6時着、ちょっと休んで浦安着午後1時。
Tokyo’s Cup 2013を運営していただいた皆さん、我々のフィニシュを最後まで見守っていただきありがとうございました。そして大島町の皆さん、いつもの波浮での歓迎には頭が下がります。今年は大島警察署まで出てきたのには驚きました。

本当にありがとうございました。

記 : AZ 小室 潤