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第1回東京湾スバルザダブルハンドヨットレース参戦記

『第1回東京湾スバルザダブルハンドヨットレース参戦記』

JPN5443玉子丸の久松誠

参加決定編

4月10日昼に購入したKAZI誌にて『第1回』『東京湾』『ダブルハンド』の文字が目に留まり、滑り込みで何も考えずエントリー可能かどうか電話で確認したところ大丈夫とのことで仮エントリー。

年明け早々、沖縄レースの主催者からダブルハンド部門成立の為に参加のオファーを頂くも、資金繰りと時間調整の難しさから断り、3月初頭に届いたJ-SAILING93号でも『ダブルハンド部門設立を期待している』との一文で再度3月一杯参加を検討して決定したものの諸事情により参加を見合わせもやもやしていたところに、『ダブルハンド』の文字が目に焼き付き短距離でも玉子丸で外洋を久しぶりに帆走しってみたくなっていた。

帰宅後、ショートコースのパートナーである彼女に連絡し『レース前後はディズニーリゾートで遊べるよ。』と口説き落としたものの、書類記入中に港湾案内を確認したら夢の島マリーナに入るには荒川の河口付近に2mラインがあるではないか!?我が玉子丸の喫水は2.45mしかしTYCのブログでSydney40のDREAD NOUGHTやFIRST40.7のレティシアドゥがエントリーしているのが確認でき大丈夫だろうと正式にエントリーを決断、夢の島マリーナのK氏に様々なアドバイスを頂いてDHYRの参加が確定できた。

普段、大阪湾周辺のオープンレースにダブルハンドで参加しているフルクルー艇にはアクションの度に追い付かれ追い越され、超微風下では彼女一人では下ヒールは作り出せず小型艇にも置いていかれるただのヨット好きのカップルが『第一回=記念すべき回』『東京湾=首都の冠が付いた湾』『ダブルハンド=すべての艇が公平かつオートパイロットが使える』『前後1週間係留費無料=宿泊費無料』『浦安マリーナ=ディズニーリゾート近し』『外洋レースではない=現状の沿海仕様の状態だけで参加できる(費用負担がエントリー費と回航の軽油代と東京湾北部のチャート1枚分だけ』『エントリー費3万円=宿泊費+前夜祭パーティーのディナー+レース中のランチ代と考えれば割安』『回航=短距離の上、沖縄レースの為に時間を空けていた分を利用できる』とすべてが魅力的で現実的で手軽なレースだと思っていたのですがI氏に関西ヨットクラブのグランプリレーサーと間違われたのか『370マイルは遠路』『西宮からの参加は大変名誉』『スタッフ一同身の締まる思いで感謝』などと言われ、こちらのほうが大変緊張してしまいました。

準備編

10日にレースのことを知り、4月22日は関西ヨットクラブ(KYC)のホワイトレース、GW3日4日は関空一周ヨットレース(淡輪ヨットハーバー)の参加を決定した後のDHYR参加決定、元々全沿海仕様なので基本的には燃料・食糧・水・チャートを積めば良いだけと言いたいところだがちょっとお年頃の航海距離も3万マイルを超えるかどうかという艇のため、短距離とは言え外洋を安全に走る為の装備とショートコースのレースを3週連続で行う為のバランスに大変頭を悩ましながら準備に使える日程は4月15日と21日と22日のレース後の2日+αのみ。

艇自体の整備は15日にそろそろジャイブしたら飛びそうなハーケンのメイントラベラーとブロックを結ぶ2つのシャックルを、事前に発注しておいた純正オプションの新品トグルに交換し、遊びが大きくなってきていたステアリングケーブルを予備の新品に交換、使用頻度が高いジブハリとマストヘッドのスピンハリの上下入れ替え、21日にエンジンのオイル交換と簡単な整備、22日の天気は荒れるとの予想だったのでKYCレースも安心して21日にセールをワンポンサイズの回航セールに交換、回航や東京で必要なもので濡らしたくないものはすべて積み込んで燃料も120L搭載したものの、実際レース中は雨天なれど順風でアンダーキャンパスのノンスピン参加で荷物も積み過ぎという状態で当然最下位の成績でした(猛反省)

レース後、雨の中濡れてもよかった回航備品や安全備品・予備燃料を積み込んですべての準備が完了。仮眠して出港と思っていたところ、忘れ物に気付く!フォーマルパーティーの為のスーツは積み込んだけど靴を忘れた!同じ革靴とは言えぼろぼろのデッキシューズではさすがに。ということで一度帰宅して革靴をピックアップし、艇に戻り準備完了!(『せめてスマートカジュアルにして!』と切実に思ったひと時でした。)

往路回航編(機走巡航6ノット計画で)

彼女の休みは暦通りで回航は不参加。特に誘いもしなかったが玉子丸の東京行きを聞きつけた友人が往路の回航だけでもなんとか乗りたいとのことだったが仕事の都合が付かずシングルハンドでの回航に決定。

西宮→串本編

≪予定 西宮出港22日21:00→串本入港23日18:00 123マイル約20時間≫

予定は未定とはよく言ったもので、21日22日は天候に恵まれず準備に手間取り、挙句に靴を忘れ仮眠ができなかったので船舶の多い大阪湾の出口の由良瀬戸(友ヶ島水道)と和歌山の日の岬から串本までの自己の体力と安全を考え23日の午前1時から4時まで3時間睡眠をとってから午前5時西宮出港。深夜に出ればKYCのレースで吹くはずだった25~30ノットの北東の風を受け一気に大阪湾を脱出できたはずだがすべて過ぎ去ってしまい、南西の微風の中メインだけを揚げなんとか友ヶ島水道の南流に乗ることができ機帆走にて大阪湾を4時間かけて脱出。大阪湾を抜け和歌山マリーナシティーを通り過ぎたくらいで風が北に回って徐々にあがり、20~25ノットで安定し、6~9ノットの対水スピードで快走し串本手前8マイルまでフリーのセイリングを楽しんだ。しかし、この残り8マイルで風向きが正面へ変わりさらに黒潮の反流にも捕まり機走で2時間半掛かり串本に21時45分入港。予定20時間のところ15時間ほどで到着、平均8ノット超えで大変満足。予定より早く着きそうだったので入港してから晩飯をと思っていたのに、最後1時間以上もお預けをくらってしまい自炊も考えたが、帰りの食糧として積んできた分は置いておいて、銭湯に行ってリーズナブルなレストランでも探そうと自転車を下ろして散策するも、銭湯もレストランも10時で閉店(泣)串本在住の友人も出張でいないらしく仕方なくコンビニ弁当で簡単に晩飯を済ませて就寝(寂)

串本→三崎編

≪予定 串本出港24日04:00→三崎入港25日15:00 226マイル約37時間≫

またまた予定は未定が現実となり、串本で潜って船底掃除をすることに。8時に起きて9時から潜るつもりが係留した場所は赤潮が溜まり水が濁っていて潜る気になれず、港から出て少し行ったところで渋々アンカリング。一人だとアンカーを揚げるのが面倒くさい。9時半に入水したものの串本といえどもまだ海パン1枚では冷たい!1時間ほどで何とかハル全体とキールとラダーの底まですべて掃除したものの素潜りのうえに海パン一枚ではダブルチェックをする気力が出ないほど水が冷たくて諦め水から上がったが、温水器のない玉子丸では水シャワーだけ、着替えて温かい飲み物を入れて11時にアンカーを揚げて出発。冷たい水中に1時間、温かい飲み物と服と太陽でも震えが1時間ほど止まらなかった!船底をダブルチェックできなかったのはレースに負けた時の言い訳になるということにして開き直ることにした(笑)

先日の串本入港前に実行委員のI氏から留守電が入っており、串本出発後に折り返し連絡したら夢の島マリーナは荒川の河口が浅く出入港のリスクがあり、ドレッドノートは安全な時間帯に事前に海面に出ているとのこと。最終的には浦安マリーナに係留し、レース公示15-2や帆走指示書3-3などの便宜を図って頂けるということになった。

串本出発後は南の軽風をセイリングで5ノットを切るまでは帆走、5ノットを切ってからは機帆走を繰り返し、暗くなる前に20Lの軽油を右舷タンクに補給(これもDHYRで言い訳材量となる。)夕方風が上がり始め20ノット程度の南の風を受け8ノット程度のセイリングで25日0時から4時頃まではレーダーとキッチンタイマーと携帯の目覚ましの3つを駆使して15分間の仮眠と数分間のワッチとナビゲーションを繰り返し、9時頃までに御前崎の沖まで走り切ったものの、突然風が止んだので風向が変化する前兆と判断し、機帆走に切り替えジブを即下ろし、ランナーを両サイドフリーにし、メインを詰めた数分後に正面から15~20ノットの風が吹き始め、2GMという玉子丸には非力なエンジンでは直進することが難しくなり、ジブを上げクローズホールドのセイリングに切り替え。1時間もたたないうちに25~30ノットの風になり、メインをワンポン・ツーポンと段階的に小さくするも、白波も立ち始め波高が2~3mになったのでオートパイロットでは艇速8ノット以上のクローズホールドではパンチングが酷過ぎて船体保険は未加入でディスマストをしたくないので(過去にレースの回航途中で35~40ノットの風の中、波高6m、ストームジブと3ポンメインで帆走っていたときにパンチングで着水した瞬間にディスマストした経験がある)仕方なく自分でステアリングを握り、朝食はシリアル、昼はウイダーインゼリー、オートパイロットに任せナビゲーションをする度に少しクローズリーチにし、メインを遊ばせ艇速を落とし、グミキャンディーを手にまたステアリングに戻るということを繰り返し6時間、何とか石廊崎を超えて初めて神子元島を明るい中視認し、白黒のかわいい灯台を写真に収め、石廊崎から三崎までは25~30ノットのアビームで44マイルを5時間で帆走。沿岸20マイル付近をセイリングしてきたが20マイルでは黒潮には乗れず1ノット程度の反流の中180マイルを走ってきてさらに石廊崎を超えるためにクローズホールドでタックを6回して35時間で走れたのはまずまず恵まれていたと言ったところか?

私にとって東京湾はベラシスより北は未知の海域で大型船の航行も多く、航路も複雑だと聞いていたのでシングルハンドであり夜間でもあることから無理をせず三崎は避難港になっているとの情報だったので三崎フィッシャリーナに22時に入港し、マグロを食べ損なって(泣)、串本と同じくコンビニ弁当で晩飯を済ませ就寝。

三崎→浦安マリーナ編

≪予定 三崎出港26日07:00→浦安マリーナ入港26日14:00 44マイル約7時間≫

またまた予定は未定。今回は昼から天気が崩れるということで予定を前倒し4時起きで5時に出港するつもりが5時起きの5時半出港になってしまった。南西の風20から25ノット三崎港を出てすぐにメインをアップし8~9ノットで横須賀までセイリング、その後も風は20ノット前後で安定し航路を右に見て7ノット程度でセイリングし東京湾を北上。浦賀を過ぎたころで雨が降り始めるも小降り。VHFを聞きながらまず横須賀の自衛隊の艦艇を4隻ほど確認、それらの艦艇が入港や入港待ちのやり取りをしているのを見聞きして初めて海上自衛隊の観艦式に行く人達の気持ちが解り、次に八景島シーパラダイスが目に留まり、横浜ベイブリッジが見えその北側に同じような橋(鶴見つばさ橋)が見え始めて横浜に大きな橋が2つ存在していることを知り、アクアラインの風の塔、羽田空港も見え、その南に3隻のフルセールで走る帆船を正面から見た形をした建物が見え(後で調べたら首都高の換気所だそうです。みなさんには帆船に見えますか?)、スカイツリーの影、大きな観覧車(葛西臨海公園の)が、ディズニーシーが、さらに向かい合わせたダックスフンドみたいな橋(東京ゲートブリッジ)が見え、まさに日本の玄関口に入っていくというちょっとした感動を覚えました。TYCの皆さんには当たり前ですね。風はアクアライン少し手前で風速が15ノットまで落ちアクアラインを越えたら艇速が5ノット以下まで落ちたので機帆走に替え、少し雨が上がったのでデッキにあったジブも揚げてセールを乾かし、12時に浦安にアプローチ。しかし、港湾案内に記載されている沖側の赤と緑の浮標が確認できず浦安マリーナにTELし指示を受け12時半に浦安マリーナ到着。

トータル393マイル(371マイルと言っていましたが計算間違えていました。371マイルは帰路の淡輪ヨットハーバーまででした。)実際には黒潮の反流もあり、石廊崎を超えるための真上りの6時間もあったので400マイル以上は走っていたが64時間の予定を約57時間程度で到着。回航でこんなに恵まれたコンディションは初めてだったのでは!?

東京滞在編

Day1(26日)

浦安マリーナ到着後ジブを畳み、ブームカバーをかけハーバーオフィスにご挨拶。シャワーを借りて、クラブハウスに居らしたオーナーさんと少しお話をしている間に大雨。少し小降りになったところで艇に傘を取りに戻り東京散策へ。ハーバーオフィスで行き方をネットで調べてプリントアウトしてもらい、遅くなっても警備員さんに言えば艇に戻れることを確認して、夕方日本橋にある艇の保険会社インターランドにお茶をご馳走になるべくお出かけ。徒歩で舞浜駅まで行って電車を2度乗りついで日本橋に着くが、途中ひと駅乗り過ごして戻るというハプニング(序章だった)がありながらもインターランドに到着、ビックリさせたくてアポなし訪問。代表のM氏と小一時間昔話をしながら保険のからくりを教えてもらい、よく利用するネットショップのオンズマリネットの店舗の場所を教えてもらい時間外でも覗きに行っても歓迎してくれることを確認してもらってから覗きに行ってスピンのリペアテープだけを購入。艇に戻るつもりで電車に乗ったのはいいが京葉線の八丁堀から新木場、次に舞浜・新浦安に停まると思っていた電車が新木場の次に舞浜・新浦安には止まらず蘇我というところまで立ったまま乗せていってくれた(大泣)。新浦安駅へ戻ってきたけどクタクタ、レストランに入ろうと思ったけどダイエーで2日分の食材を購入して、コインランドリーとネットカフェの場所を確認してから、体力を考えてタクシーで浦安マリーナに帰還。艇で珍しくチューハイを飲みながら一人焼き肉をして就寝。海の上では迷子にならないのにな~。

Day2(27日)

8時に起きるも大雨。本当は佐野造船所を覗きに行きたかったが諦め、午前中はテレビを付けて情報番組を見ながら洗濯物をまとめ、艇の中をチェックして片付け。昼食後、小雨の中、夢の島マリーナのシャワールームの洗濯機と乾燥機を使わせてもらえるとのことでメイン会場となる夢の島マリーナに洗濯がてら遊びに行く。夢の島マリーナでとりあえずカードキーを借りて洗濯をしている間に、マリーナ探索。帰りにまた新浦安に行きネットカフェで、レース日のコンディションと帰りの回航の天候概要などを調べ、少しだけ買い忘れた滞在中の食材と帰りの回航の食糧を購入し電車で舞浜駅へ戻り徒歩で浦安マリーナに帰還。浦安マリーナから舞浜駅の往復・新木場駅から夢の島マリーナまでの往復・夢の島マリーナ内での探索と今年に入ってから一番歩いた2日間でした。雨が降っていた為に荷物を下ろすのを諦め、艇で今度はチューハイを飲みながら一人焼き鳥。浦安マリーナは係留艇がなく、水も電気もポンツーンになくてハーバーライフを楽しむには少し寂しかった。

Day3(28日)

今日は艇長会議と前夜祭パーティー!の前にディズニーランドに遊びに行くという第2の目的が!彼女がディズニーランドに7時半に到着予定のバスが30分くらい渋滞で延着となるとメールをくれたのでその間に不要な重量物だけでも桟橋に下ろしておく。マリーナからスーツと革靴を持ちディズニーランドへ向かうという自分でも不思議な行動。8時少し回ったくらいに入園でき、16時までにスプラッシュマウンテンを除くほぼすべてのアトラクションは制覇!パレードも一つ見て、エッグハントというイベントにも参加。

16時にパークを一時退場し、サンルートプラザ東京へ。10年くらい前に西宮でヨットに乗っていた知人女性クルーと再開、今は夢の島の光という艇に乗っていてレースは観覧艇で観るそう。久々の再開を喜びつつスーツに着替え私は艇長会議。オープンレースとはいえレースルールにかなり切り込んだ質問が飛び交いやはり3万円という高額のエントリーフィーでフォーマルパーティーを開催するクラブは格式もレベルも高く我々は場違いなのではなかろうかとルール3原則+αくらいしか解らない私は内心半ベソ状態で来るべきではなかったかもとあたふた!!彼女はホテル内のディズニーショップ?で気楽に買い物を楽しんでパーティーで合流。のの艇のオーナーご夫婦が先にいらしたテーブルにご一緒させていただく。玉子丸と同じような考えでレースに参加されると聞いて艇長会議の緊張が少しほぐれたころに、I氏に壇上に呼ばれ『セーリングスピリット賞』としてSAILRACINGのとても高価なジャケットを頂く。他の参加者の皆さんには大変申し訳なく思いながらも参加費や回航の燃料はこれでチャラ(笑)少しスピーチをさせて頂き、JSAF山崎名誉会長と10年振りのくらいの会話、そのあともスピーチのお陰で玉子丸と私の顔が繋がったのか、関西で助っ人クルーとして乗りに行っていた艇のクルーが26ftの艇を所有し参加しているのが解り、さらに皆既日食クルージングで奄美大島で玉子丸と出会っていた人や、元関西在住で共通の知人がいる艇のオーナーやクルーの方々から声をかけていただいて、見知らぬ土地が身近に感じられ、楽しいひと時を過ごさせていただきました。

と、もう少しパーティーの余韻に浸りたいところでしたが、彼女は閉会の言葉を聞いて即退場し更衣室へ、私も少し挨拶まわりをして参加賞を頂いてから早着替え、20時20分初のディズニーランド行きのシャトルバスに飛び乗り再入園、ジャングルクルーズとパイレーツオブカリビアンを満喫し、ワッフルを食べて22時半までお買い物!彼女の荷物とディズニーランドのお土産をたくさん抱えタクシーで浦安マリーナへ帰還。ハーバーに戻るとポンツーンにヨットがいっぱい!喫水に問題のない艇はすべて夢の島マリーナに回航していると思っていたのでうれしい驚き。何艇かはハーバーステイを楽しんでいるようで雰囲気万点。レースの為にメインセールを二人がかりで付け替え。ハーバーに無理を行って遅くにシャワーも浴びさせてもらう。Day1・Day2よりさらに歩いた一日でした。これだけ疲れていて起きることができて、さらにレースになるのだろうかと思いながら就寝。

Day4(29日)

今回のメインイベント『第1回 東京湾 スバルザ ダブルハンド ヨットレース』当日の朝を迎え、なんとか6時に起床。朝食は彼女に任せ携帯で気象チェック。超微風で行きはジェネカーで帰りは片上りか!?という風向はともかく風速は玉子丸にとって最悪。下ろせるものはすべて下ろしたつもりでも船底の状態、テレビ・冷蔵庫・テーブル・ダブルサイズの羽毛布団と毛布、帰りの食糧と水、回航で残ってしまった燃料60L近く(玉子丸は100Lのステンレスタンクが2つある。)外洋仕様の為の105Aの4つも積まれているバッテリーなど下ろしたくても下ろせないもの(下ろせるけど下ろしたくない物も)多数、さらに強風仕様の為の大きくレーキしたマストのセッティングは変更できないし使い古したジェネカーしかない。おまけにディズニーランドで買ったお土産はチョコレート菓子も多いため溶けてはダメとすべて積んだままレースに参加(笑)と言い訳を列挙しておけば誰も『遅かったな。』とは言わないかな?

それでもとにかく天気に恵まれ安定しそうなので下ろせるものは下ろしてから出港。浦安マリーナの水路を出てからすぐにメインを揚げ、ジブをセット、確認の為にジェネカーを揚げレースコースのコンパスコースに向けてみる。スタートから回航マークまではギリギリジェネカーのプロパー1本で行けそう。などと確認していたら危ない危ない。海上チェックインを忘れるところだった!ジェネカーを下ろし、機帆走にて何とかチェックイン。

スタートは完全にアウターマークが有利だけど、参加艇の技量もスピードも解らないので空いている本部艇寄りから潮に流されるのを警戒しつつNo1を揚げクローズホールドで流し、スタートのホーンを聞いてから安全に一艇身半くらい遅れてスタート。プロパーラインに向けて少し艇速を付けたところで、いつもの安全なジェネカーの揚げ方(私が一人でソックスのままジェネカーを揚げてから、彼女にヘルムを持ってもらったままジブハリを渡し、スピンシートを彼女の近くにスタンバイして私がジブハリのロープクラッチを空けてバウに行き彼女にジブハリをコントロールしてもらいながらジブを下ろし、私がソックスを揚げてソックスのコントロールラインを固定している間に彼女にシートをある程度引いてもらってからすぐにコクピットに戻りトリムする。いつもの癖でオートパイロットを使うのを忘れてた。)をしている間にTYC前会長のW氏の乗るランドフォーに風上に被せられてしまい、なかなかブランケットから抜け出せずあたふた。安全上の艇しか見えていなくてレースタクティスとしてはまだまだ勉強中!もっと広く周りを見渡せ彼女に指示を出せる能力を身につけなければ!!と思ったかどうかはさておいて、まずは第一の難関、スタート後すぐのところにアンカリングしている大型船の風上を通るか風下を通るか。SAMOA艇は風下を通って行ったが微風下で艇速が出ないうえに大型船のブランケットに入ってしまってはと思い何とか風上へ。セールが風をとらえている間は何とかSAMOA艇も見えていてコンストレーションやレティシアドゥと同じような位置に居たものの、超微風下になったとたんにSAMOA艇を見失い、さらに風上を帆走っていた軽量スポーツボート集団に置いていかれコンストレーションも視界から消えていき、神経戦に突入。暑さを紛らわすために彼女が冷蔵庫からよく冷えた大きなみかんゼリーを出してきて二人で食べ、集中力を高める為(眠くならない為)に音楽を聴きながらなんとか走らすものの、ヒールも作れず、セールシェイプが出るかでないかのコンディションでのセイリングはヘルムもトリムも下手くそな私にはなすすべもなくDONNAやプロントにも抜かれてしまう(焦)

マークに近づき先行艇の中にCAVOK艇を発見、既にマークを回ってポートクローズで近づいてくる。こっちはスタボーのジェネカーランだが、軽量スポーツボートではないCAVOK艇がジェネカーを新調してセール屋さんが乗って戦闘モードでさらに玉子丸よりレーティングの低い艇にも関わらず先行していることに敬意を表し、前夜祭でも楽しい会話を提供してくださったので落として風上を譲る。

さてやっと我々のマークを回る番が来た。レティシアドゥと競り合って少し玉子丸がリードしていたが本来レースとしてプッシュするならジブアップ後ジェネカーの3枚張りでギリギリまでアプローチしてジャイブしながらジェネカーを下ろすということをしたかったが、相手の技量が解らないうえに、こちらもアクション中は周りが見えなくなり彼女では権利関係も解らずどのように避ければいいか判断できないので安全にジブアップし、ジェネカーを風上から下ろし先にレティシアドゥに回ってもらうことに。レティシアドゥはギリギリまでスピンランでマークアプローチ、マーク数艇身手前でヘルムスマンがオートパイロットのオートスイッチを押してヘルムからピットに行くのが確認できたが、オートパイロットはオートスイッチを押して保進するまでにタイムラグがあるのでオートパイロットに少しラフされてしまい艇速を増され追いやられる羽目に。。気付いてないようなので声をかけようと思ったがヘルムに人がいないので何も言えず見守っていたがどうもスピンの回収に手間取ってスピンポールも降りてなく即ジャイブできないようなので、どこまで持っていかれるか解らず、こちらがジャイブしインサイドを取るために距離を取ろうとしたのが失敗、予想より早く解消してジャイブしてマークを回航されてしまった!(レティシアドゥさんごめんなさい。舐めすぎました。)距離を取っていたのを忘れていてジャイブ後すぐにいつもの癖でセールを詰めてしまい失速。。何とかマークを回航したものの置いていかれてしまった。

回航後、振り返り後続艇を見ると、マークのすぐ近くを超大型船が通過、前方から見ると、マークと大型船はほとんど距離がなくハラハラドキドキしながら見守っていた!

フィニッシュまで片上りのクローズホールドの軽風プロパーで楽だと思っていたが、後ろからドレッドノートが凄い追い上げ!40ft純レーサーの上りは早い!!と思っていたのも束の間、風が横に回り始めたので玉子丸は即ジェネカーを展開、安全お遊びモード?のドレッドノートから逃げ切りレティシアドゥに追い付いたものの、さらに風は後ろに回りフィニッシュまでデッドランになり、スピンを揚げたレティシアドゥに逃げ切られてしまう。

マークを折り返して半分くらい帆走ったころからは残航と時間と艇速とのにらめっこ。13時頃までにフィニッシュして、14時頃までに浦安マリーナに帰れたら、レース用のセールだけ畳んで桟橋の荷物をとにかく艇に乗せて自転車でディズニーシーに15時までに行けるかどうか!?時間がなくディズニーシーに行けなければイクスピアリの探索かななどと話し合いながら、走らせ続けワンジャイブでなんとかノートラブルでフィニッシュ。
 

浦安マリーナに戻りながら艤装を解除し、マリーナに着いてすぐに荷物の積み込みを行い、汗で濡れた服を着替え、軽油40Lを購入し、夢の島マリーナに帰着の一報を入れ、浦安マリーナから夢の島マリーナ行きのバスが16時45分に出ることを確認、クラス旗とリコールナンバーを持って自転車でディズニーシーへ行き15時からのチケットを購入、ちょうど15時に入園。すごく混んでいたので軽くお茶だけして、帰着申告の為にバスの出発時刻と同じ時間にタクシーに乗って夢の島マリーナへ。帰着申告を済ますと同時にパーティーが30分早まったと伝えられる。何度か携帯に連絡をくれたらしいけど繋がらなかったそう。着信すらなかったけどおかしいな?早い目に来てよかった。

CAVOK艇のS氏に表彰式までの短時間に東京湾の航海のアドバイスを頂く。CAVOK艇は連休後半関東ミドルボート選手権に参加するために30日9時に出港しシーボニアまで回航するとのことで東京湾を一緒に南下しようとお誘い頂く。玉子丸は7時出港予定。起きられなかったらご一緒させて頂くということにする。

ほしかったトロフィーを眺めながら、レース中は軽量スポーツボートが有利でレーティングの高い大型艇が不利と思っていた上に、フィニッシュ前に振り向いたら後続艇も有利になっている展開になっていたのを気付いていたので修正ではこんなものかと納得。玉子丸のレーティングは感覚的に高くも低くもなく文句の付けようのないレーティング。今回のコンディションの反省点は上記言い訳と共に後はもっと腕を磨いてワンセットのレーシングセールを揃えられるだけの甲斐性者になれというところか?

我々にとってディズニーシーへ行くための時間と体力を残してくれた風であったが、体力は無くなってもやはりコンスタントにせめて10ノット前後の風は最低限ほしかった。このレーティングとコンディションの違いがあるからヨットレースは楽しいく、また参加してみたいと思うのかな?

各クラスの優勝・入賞艇、ファーストホーマーのSAMOA艇本当におめでとうございます。

表彰式の後、徒歩で新木場駅まで歩いて、舞浜駅に停まる電車を確認!し、ディズニーリゾートラインでディズニーシーへ戻り、夕食とショーと買い物を楽しんでから22時30分浦安マリーナに帰還。回航用メインを取り付けて燃料をまた120Lになるようにポリタンから給油(関空一周レースの言い訳材量となる)してから、また遅いシャワーを使わしてもらい、警備員さんにマリーナの震災の被害と復旧過程の話をしてもらって日付が変わるころに就寝。

帰路回航編

浦安マリーナ→串本編

≪予定 浦安マリーナ出港30日06:00→下田入港30日21:00 88マイル約15時間≫

≪予定 下田出港1日04:00→串本入港2日10:00 184マイル約30時間≫

予定は未定。今回よく使う言葉。今回は寝坊(笑)玉子丸は7時出港予定だから、飛行機で帰る彼女は玉子丸を見送ったあと、イクスピアリを探索する予定だったけど二人揃って寝坊で8時起き(笑)朝食を食べハーバーオフィスにお礼を言いに行くときに、CAVOK艇のS氏に『やっぱり居た』と笑われながらCAVOK艇を追いかける様に楽しかった東京滞在に後ろ髪を引かれるように出港。ディズニーシー等を写真に収めながら中ノ瀬航路までは何とかCAVOK艇を視認できる距離で誘導してもらったものの、機走の遅い玉子丸では横浜ベイサイドマリーナから出入りしている他のヨットとCAVOK艇の見分けがつかなくなりセルフナビゲーションに。横浜ベイサイドマリーナを見つつ転進し、東京湾を抜けて三崎を過ぎたあたりで風が横から安定して20ノット前後で吹いてきたのでエンジン停止、No3と回航用メインで快適にセイリングしながら伊豆大島の島影のフラットウォーターのうちにご飯を炊いて鳥とネギを焼き、晩御飯は焼き鳥丼。水も2L沸かしてポットに入れておく。ご飯の残りはシャケふりかけを混ぜて夜食のおにぎりに。携帯で気象チェック。今晩からはいい嵐になりそう。3日は紀伊水道の荒天が予想されるため下田には寄らず(係留費節約も)串本まで一直線の回航決定。石廊崎を超えたあたりから串本までのプロパーコースを30ノット程度のクウォーターからの風を受け常に10ノット越え、波高4m程度の中を15ノット前後でサーフィングしながらも安定し、沿岸20マイルを気にしながら何とか保ちオートパイロットのレスポンスを上げただけでレーダーを回しながら船内で休息をとれるくらいの高速手放しセイリング。深夜から35ノット前後になり、波高6mの中オートパイロットではブローチング。とりあえずメインをワンポン。明け方に波頭が崩れだしてまたブローチング。ツーポンにしても艇速変わらず。昼過ぎから大雨の微風また30ノットまで吹きあがるを3回ほど繰り返し、燃料を消費するためにもツーポンのメインのまま、ジブを下ろし微風・強風関係なく機帆走、1日19時30分に串本到着。ここまで272マイル45時間の予定が34時間半で串本到着。低気圧の北西の玉子丸にとっての可航域を帆走ってきたとは言え玉子丸にとって恵まれ過ぎの回航。

串本到着後、往路の回航時に会えなかった友人と居酒屋で漁師さんが取ってきてくれた豪華食材で晩飯。さすがに少し疲れていたうえにチューハイを飲んでしまったのでダウンしかけ、今回は温泉に入れ、2日の天候を確認し、朝7時に出港予定とし、就寝。

串本→淡輪編

≪予定 串本出港2日12:00→淡輪入港3日04:00 99マイル16時間≫

前日立てた予定通り出港しようと6時に起きたものの沖側から岸壁に向かって25~30ノットの風で艇が押し付けられていて押しても一人では艇を離せない。仕方なく天候を再確認しながら予定を組み直してみるが今日中に出港しないと関空一周レースに間に合わない可能性が。。気象情報では串本は20m以上の風で大雨・強風・波浪警報が出ている。港内でも25~30ノットの風。しかし、3日の気象情報はさらに悪く低気圧が通過後の北西のち北の風30ノット以上!つまり、一人でまた99マイルをクローズホールドのタックタックで上っていかなければならないことが判明。。そんなことをしては関空一周レース参加が危うい。。岸壁から艇を離せさえすれば40ノット以上吹かれても玉子丸にとって余裕のあるフリーでの可航域であることと、地形的条件から初めの数時間だけが少々きつくあとは紀伊半島のブランケットになりフラットウォーターになると判断し、ストームジブをセットし、バウフェンダーを取り付けバウ付近にフェンダーを集め岸壁側に舵を切りクラッチを前進に入れスロットルをいつも以上に思いっきり吹かし40度近く角度が付いた時点ですぐ後進フルスロットル。何とか岸壁から離れたものの港外は白波。港内で約1時間フェンダーボード2枚にフェンダー9個もやい6本を艇を風上に移動しては流され風上に移動しては流されを繰り返しながら片付け。一人だとこれが大変!9時頃にストームジブがすぐに上がるように段取りしてから串本の出口に向かう。島のブランケットになっている瞬間にストームジブを上げ、島のブランケットを出たとたん気象情報通り、35~40ノットの風と8m前後の波にいじめられながらも潮ノ岬を大回りで回航。久しぶりにストームジブ一枚で10ノット越えのサーフィングを楽しみながら2~3時間で紀伊半島の予想通りのブランケットにたどりつき、メインを2ポンで上げてから日ノ岬までは平穏に回航。

日ノ岬を回り込むころに15~20ノットの向かいの風に変わりなんとかメインのみの機帆走で5ノットを維持しイルカの歓迎をうけていたが、19時頃、紀伊水道のほぼ中央由良瀬戸まで15マイルほどの辺りで30ノットの向かい風に翻弄され艇速が3ノット以下になったので仕方なくジブを上げタッキングアングル100度くらいのワンタックで和歌山マリーナシティーへ寄港することに。残り20マイルの知った場所とは言え、夜間のとても狭い水道を35ノットオーバーの真向かいの風になることが解っている上に、南から淡輪ヨットハーバーにアプローチするにはタコ壺を多く避けながら航行しなければならず夜間で波のある状態では確認は不可能。リスク回避の為に残り15マイルを残して和歌山マリーナシティーへの寄港を決断。21時、串本から12時間かかって和歌山マリーナシティーに到着。和歌山マリーナシティーは北風からよく守られていて広いゲストバースで何とか一人で回航メインからレースメインに付け替えて黒潮温泉に行って就寝。

3日、1時間寝坊して6時に出港。風は少し残っているが、機走で対水5ノットはキープできるものの由良瀬戸(友ヶ島水道)の南流約1ノットの中を走りながら、何とか関空一周ヨットレースのプラクティスレースに間に合わせるべく雨の中タコ壺を避けながら最短距離を航行。プラクティスレースの受付の9時半には間に合いそうだとモチベーションを上げるが、正面やや右から大型のモーターボートがミートコースで接近。仕方なく右へ転進するとなんとそのボートが再度ミートコースへ転進。再度左へ転進するとまたそのボートもミートコースへ転進。しかたなくそのボートを右舷側直角になるように転進ししばらく走りやっとそのボートが右舷後方を通過したのでプロパーコースへ戻す。そのボートは保安庁の小型巡視艇だった。その後巡視艇の挙動を見ていたら停船していたので何もないだろうと淡輪ヨットハーバーに向かっていたら巡視艇が後方から急接近、そして停船命令。検査時期のステッカーが24年だったので何月の検査かと確認の為だけに大雨の中停船させられ、モチベーションもダウンしプラクティスレースの受付に間に合わなくなりレースはキャンセル。もともと成績に参入されないレースなのでいいとしても、双眼鏡で検査時期ステッカーを見て当然船舶番号も見ているはずなのに停船させてまで確認する必要があったのだろうか?なぜ、小型船舶検査機構に確認できないのだろう?

トータル371マイル61時間の予定を黒潮の反流にも乗って約50時間程度で到着。低気圧の北西の可航域を帆走してきたとはいえ玉子丸にとって本当に恵まれたコンディションで回航完了。
 

往路393マイル・レース15マイル・帰路371マイルの合計779マイル、エントリーフィー3万円、使った軽油約100Lほどで1万5千円以内、チャート3千円の合計4万8千円。

彼女と二人で貯めていた500円玉貯金でディズニーリゾート内は食事もすべて満喫、その他のどこに居ても必要な食費や微々たる東京散策の交通費を除いて、

マイル62円以内で楽しめたDHYR参加でした!

15マイルのレースの為に東京まで行くと話したら苦笑されることが多かったけれど私の真の目的は回航やレースも含め『航海を楽しむ』ことなので玉子丸のオーナーになってから国内ではもっとも充実した航海を楽しめました。
 

トラブルは、帰路の串本で強風に艇を岸壁に長時間押し付けられ、自動車用のタッチアップペイントで補修していたハルの一部が剥げてしまっただけ。関空一周レースで少し恥ずかしい思いをしただけで済みました。

おまけ編

第2回関空一周ヨットレース

DHYRで出会った数人は関西ヨットクラブ所属のNOFUZOというX41で関空一周ヨットレースにも参加されていて。前夜祭パーティーやレース当日に楽しくお話をさせていただいた。

レースは15~23ノット程度の恵まれた風。しかし、我が玉子丸はまたしても回航の燃料がなんと80Lも余ったままで、濡らしたくないものは下ろせない状態だったのでかなり重たい状態。少し遅れてスピンスタート、第一マークまでに何とか3番手になったものの、第2マークを過ぎアップウインドになるとやはりフルクルーの大型艇や中型艇3艇ほどに抜いていかれ、第3マークでジブチェンジしている間にさらに3艇に抜かれ、ハイクアウトして艇を起こせないので上りレグでさらに2艇に抜かれ第4マークを確認できずオーバーセールをするものの、第4マークで再度ジブチェンジを行い何とか総合9着フィニッシュ、クラス4着フィニッシュでクラス6位となりました。この風がDHYRで吹けばもっと楽しめただろう思いながら、また関空一周レースもダブルハンドならもっと面白いのにと思いながらも充実したGWを過ごさせて頂きました。

番外編(安全の為の参考に!!!)

長距離って?

長距離と短距離の感覚は人によって様々だと思います。普段ソーセージコースのレースしか乗ったことのない人にとって今回のDHYRが長距離レースの部類に入ったのではないでしょうか?今回我が玉子丸がDHYR参加の中でも一番遠くから参加ですが、私と玉子丸にとっては時間さえできれば短距離の部類(JSAF特別規定のカテゴリー2と3の境界線。玉子丸と私にとって短距離とは24時間以内で緊急入港できる港があるかないというところでしょうか?今回の回航の最長距離は串本から三崎でしたが間の御前崎は喫水の関係で不可能ですが、五ヵ所湾や下田が避難港として設定できるので気楽な回航でした。沖縄(カテゴリー1と2の境界)や小笠原・グアム辺り(カテゴリー1)が玉子丸と私にとって中距離、それ以上が長距離(カテゴリー0や1)かな?人によっては距離的・時間的・費用的・技術的・精神的または複合的な要因で距離的感覚が決まるのではないでしょうか?私にとっては時間と費用だけが短距離・長距離にかかわらず大きな負担になります。

JSAF外洋特別規定(ISAF Special Regulations)を是非一読してください。現在ヨットにおいて最も優れた安全対策の指針だと思います。
 

シングルハンドでどうやって寝るの?(よくある質問)

今回最長で37時間走りっぱなしの計画でした。当然休息も必要です。もちろん、船舶の多い所では寝むれませんが串本から駿河湾までは1時間に数艇しか水平線に見えません。ヘルムのポジションに立って水平線までの距離は約3マイル。前方から来る小型船舶も当然水平線までの距離は3マイル程度はあると思いますので、最低でもお互いの距離は6マイル位。ブリッジが10mくらいの高さにあればお互いの距離は8マイル位になりますね。皆さん船舶免許を取ったときに灯光の光達距離を習っていますが、それを自分の眼高と、他船の高さに置き換えて計算してみてください。面倒くさい人はこちら→http://fleshwords.web.fc2.com/dt/dt020.htm

沖合20マイルでは小型漁船やボートはほぼ皆無なので水平線に見える船舶までの距離は約8マイル以上と考えると自艇が6ノット15分間で1.5マイル、他船が20ノットで走ってきたとしても15分間で5マイル。双方が15分間正面衝突のミートコースで走っていたとしても6.5マイルなので航海日記の様に水平線に他船がいなければ15分間は横になれるという計算になりますね。よってキッチンタイマー&携帯の目覚ましで15分間隔の目視ワッチをし、レーダーを6マイルレンジでワッチアラームを付け、念の為にすべての小型船舶に搭載されているレーダー反射器を取り付けておけば目視・レーダー・相手からの発見(他人任せですが)の3重のワッチ体制を組んでいることになります。

当然、ナビゲーション的にも何マイル何時間走ったら浅瀬や陸になるなども確認しています。

串本から下田までの間には夜間集魚灯を点け集団で漁をしている時があります。今回は往路2回帰路1回出会いました。この集魚灯は10マイル以上遠くから見え広範囲を照らしていますが小型~中型船なのか目視で見えていてもレーダーでは6マイルを切っても映らない場合があります。大型船と違って、この艇団を回避するには数時間かかり、大変で一番気が抜けません。

しかし、シングルハンドでのオーバーナイトはあまりお勧めしません。上記のように小型の高速船がいないという無責任な仮定と根拠のない確率だけの話なので。長距離のシングルハンドでは1時間以上寝ることもあります。当然、寝なければ体がもちません。このような場合は目視よりレーダーと一日に1~2艇しか船を見ないからなどという根拠のない確率だけが頼りになります。

よってシングルハンダー(私も含め)は凄いのではなく、大変無責任で無謀で運任せなセーラーだということを忘れないでください。大型船に衝突して沈められても自業自得。むしろ自艇が他人に対して大きな損害を与えないことを願っています。
 

どうして帰って来られたの?(帰路の回航について)

大阪に帰って来てよく言われたのが『玉子丸はこの低気圧で帰って来られないので関空一周レースには参加できず名古屋あたりで避難しているだろう。』という内容。

DHYRが終わって関空一周ヨットレースまで4日間(プラクティスレースまでは3日間)計算上はノンストップで61時間、計画は下田で7時間寄港し串本で2時間休憩して70時間で到着。しかし、よく知らない複雑な水域である東京湾をシングルハンドで抜けるには明るくなってから明るいうちに抜けてしまうのが最低条件。とにかく30日の朝に出港し予定通り東京湾を抜けてから、気象情報を携帯でチェックし、天気図から大きな低気圧があるが串本の南側を通過することを確認、当然その低気圧に向かって風がどんどん上がっていくことも解っていたが、MAX20mつまり串本まではフリーの風で50ノット以下程度の風の中で帆走しれることも確認し、航海日記にも書いたように『いい嵐』ということに。1日中に串本に着き、十分な休息ができたものの3日は上りの風30ノットオーバーが解っていたので航海日にも書いたようにフリーで帆走しれるときに帆走しって帰っただけ。

と記載すれば簡単なようですが当然艇のポテンシャルと自分の能力の7割程度で走れることを確認して出入港の判断と航海の継続はしています。

玉子丸のポテンシャルはフリーで60ノット、アップウインドで50ノットまではレースモードでも十分帆走れることを知っていて、私自身何度も経験があるのでレースモードではない回航モードであればさらに安全に航行できるので帰れました。波高と波長と波頭の関係もありますが。。。

当然、短距離とはいえメイストームの確率も高く外洋を走るので2重3重の安全対策をしていきました。 以下がリストです。
 

  1. ストームジブ(全沿海仕様では搭載義務があり、玉子丸はストームジブ一枚でも50ノットまでのアップウインドでもタッキングアングル120度位まで可能なことは経験済み、そのため、レースではなく、避難港を多数設定できる海域なのでトライスルは今回非搭載、トライスルを上げれば100度以上のタッキングアングルも可能になることも経験済み。それ以上のタッキングアングルも可能かも知れないが経験はない。レースモードでもストームジブ、トライスルを揚げているコンディションでは波に対してある程度角度を付け艇速を維持しコントロールできる状態を保ち過度なパンチングによる艇のトラブルを防ぐほうが安全だと思う。)
  2. ライフラフト(当然艇が沈んだときに使用、幸い今まで使ったことはないがお守りとして搭載。)
  3. イマージェンシーラダー(帆走7ノットまでテスト済みの非常用ラダー、長距離に行くときは2枚搭載していくが今回は1枚のみ。当然このラダーを使用するためのティラーパイプと、ラダーとパイプを固定するUボルト、ラダーを設置するためのピンも搭載。ラダーとトランサムにイマージェンシーラダー取り付けのための金具が既に設置されている。)
  4. ドローグ(念の為、ストームジブ一枚で20ノット以上の艇速が出るようなコンディション(玉子丸の場合60ノット以上の風)になった場合に備えドローグを搭載、当然これらの為のロープも搭載。ベアポール時にも有効。)
  5. シーアンカー(ドローグと兼用だがシーアンカーとしては使ったことはない。ベアポール(玉子丸の場合70ノット以上の風で7ノットのベアポール)でも帆走れないコンディションになったら玉子丸はライアハルで舵を切った状態で波に対して50度位の角度を保ってくれるので念の為に搭載。一度このライアハル開始から12時間ほどは安定していたのに突然180度裏返しになったので同じような状況になった場合はシーアンカーを流し波に対してもっとバウを立てるようにしたほうがよかったのではないかと思っています。ただし、今回はこのような状況になる前に回避できる情報源があり、距離でもありました。)
  6. ジェリーリグをジェネカーポールまたはブームで立てれるだけの工具と予備パーツ。
  7. ストーム用アンカーとチェーンとロープ。
  8. 日常的に搭載している係留及びアンカーロープ18mmの50m1本・25m3本・15m4本・10m4本とは別に18mm50m1本・16mm100m1本を搭載。
  9. 足場板で作った2.2mのフェンダーボード2本。
  10. 小さな回航メイン(元々ワンポンサイズのうえに1ポン2ポンが付いているので最終的に3ポンサイズのリーフということになる。航海日記で2ポンと言うのは3ポンサイズのリーフをしていたということです。)
  11. 大型救急セット(縫合セットなどもすべて整っている救急箱)
  12. ジャックラインとハーネスとティザー
    沖縄レースでも不幸な事故があったので私なりの安全対策として詳しく記載しておきます。

    玉子丸はジャックラインを両舷及びコクピットに常に設置してあり、今回は西宮出港前に縫い目の確認を特に入念に行いました。シングルハンドではオートパイロットで航行中に落水すればそれまで、シングルハンドで落水してしまったら他の法定備品や装備、落水者救助訓練は当然無意味です。彼女と二人でも私が落水すれば彼女は一人で艇を戻せないでしょう。そのため、近距離やブイ回りレースであってもセイリングする時は常に二人ともハーネス付きのライフジャケットを身に付け、二股のティザー(ハーネスライン)を手の届くシートバックに入れています。DHYRでは二股のティザーを段取りしていたのとは別にシングルのティザーを二人とも常に首にかけていつでもジャックラインに掛けれるようにしていました。ダブルハンドでティザーを掛けないようなインショアレースでもコクピット外では常に片手はどこかに?まりながら移動し、体は固定するようにしています。

    私はシングルハンドの場合、機走中、セイリング中を問わずキャビンから出るときは出る前にコクピットのティザーを装着し確認します。唯一オンデッキでティザーを外すときは出入港時にフェンダーやもやいをセットする時だけであり、当然オートパイロットを切、艇の行き足をなくしてから作業するようにしています。航行中にバウデッキに行く場合はコクピットのジャックラインからティザーを掛け替えなければいけません。そのためには二股のティザーを使うかシングルの別のティザーを使うようにし常に自分自身と艇が離れないようにしていました。

    私は15年前の帆船レースでエスケープワンの南波氏(既に知らない人もいるかも知れませんが)の後方50マイルほどを玉子丸にクルーとして乗船しているときに初めて身近な落水事故を耳にしました。その経験からハーネスの大切さを忘れず今も安全な航海ができています。

    私自身ハーネス・ティザーに3度救われています。
     

    1度目はバウでヘッドセールをNo4(ヘビーウエザージブ)からストームジブへチェンジ中に波にさらわれました。どうなったのか自分では解りませんでしたが、ハーネスで救われ気付いた時にはデッキ上にいたことだけは今でも覚えています。
     

    2度目は50ノット位のフリーの風の中、風下で風下のランナーを処理している時にマストを海面に叩きつける横倒し。海水を飲んで気が付いた時にはライフラインを超えて船外に投げ出されていましたが、ティザーを艇のセンターに固定していたので艇が起き上がってから自力で戻れました。イギリス人の相棒はウインチにぶら下がっていたそうです。
     

    3度目は60ノット以上の風の中ストームジブ一枚で波高20mの波を艇速23ノットでサーフィングしてしまい、波の谷底で横倒しになり失速したところでその波が巻き返し、180度の転覆、イギリスの人の相棒と共に逆さまになった艇の下(水の中)でお互いに溺死か生身の体で漂流かの究極の選択を迫られチェスト側のティザーのクリップを外そうとしていたところに次の波で元に戻り、風下に固定してあったはずのブームの上に二人ともティザーでぶら下がっていました。この時も二人ともティザーを艇のセンターに固定していたので艇が戻った時にブームを超えてぶら下がるだけで事なきを得ました。このハプニングの後にレースモードからサバイバルモードに切り替えドローグを流して艇速を落としたのは言うまでもありません。それまではサーフィングでも艇速20ノットに届くか届かないかで安定していたので初めてのサバイバルモードを経験しました。
     

    この3度の経験からティザーは常に艇のセンターか風上へ装着するようにしています。
     

    今回の事故に対し心ない誹謗中傷の書き込みが見られ、当然事故も残念ですが、同じヨットマンが書き込んでいることがより残念でなりません。残された我々がするべきことは同乗者などを誹謗中傷することではなく、故人の冥福を祈ることと、事故を教訓に自己の安全に対する認識を高め、安全意識の向上を周りに広めることだと思います。

  13. DSC付きハンディーVHF(本当はイーパーブを搭載したかったが資金難により非搭載、しかし近距離で大型船も1時間に数艇とはいえ確実に航行している海域なのでラフトで漂流という事態になった場合などには有効だと考えられます。)
  14. グラブバック(艇やラフトで漂流という事態になった場合に備え、各種フレア、非常食(THE ARK Ⅲ)シグナルミラー、エアーホーン、DSC付きVHF、発電式防水懐中電灯など)いわゆる非常用持ち出し袋を2セット。
  15. バウとスターンのクラッシュバルクヘッド。
  16. 消火器3本に加えエンジンルームの自動拡散消火器とギャレー用のファイヤーブランケット
  17. ジャイブプリペンダー(ワイルドジャイブ防止装置)

1~11は普段搭載していないが今回特別に搭載したもの、12~17は常時設置もしくは搭載されているもの。
 

以上、簡単にリストアップしたものだけでもイーパーブと双方向無線機をDSC付きのVHFに替えただけで近海仕様の法定備品は揃っていて、他にもJSAF外洋特別規定(ISAF Special Regulations)のカテゴリー1に限りなく近づけるように常に整備していたので準備期間12日(実質2日+α)で『いい嵐』の中安全に回航できました。

玉子丸はバラストの脱落と沈没以外はできる限りすべて対応できるように準備したうえで外洋航海に望んでいます。

30ftクラスや知らない艇で限定沿海や沿岸仕様もしくは沿海仕様でも法定備品だけ、玉子丸でも上記すべてを揃えていなければ帰路の回航は名古屋に避難どころか早々に下田で低気圧の通過を待っていたと思います。

また、すべてが揃っている状態でも、もし彼女が回航に参加していたら下田で低気圧の通過を待つ判断をしたと思います。多分ですが、私は強い乗員で走らせ続けるのではなく、一番弱い乗員に合わせた航海をすると思います。彼女は40ノットの風の中で24時間以上はまだ持たず、まぐろ状態は可哀想なので。

これらの内1~11と自転車2台と+αを桟橋に下ろしてレースに参加していました。下ろすのも積むのも二人だと大変。特に重量50kgラフトの積み下ろしが!
 

また、ヘビーウエザーギア(カッパ)はライト(ボロボロの登山用の薄手を夜露で体が冷えるのを防止するため、ミディアム(ヘリーハンセンのマッチレーシングの上下を各レース用と予備として)ヘビー(ムストーのHPX上下を外洋での荒天用)として持っていき、上下のアンダーウエアと、フリース、ブルゾンなどの防寒対策もして行きました。夏でも冬支度の言葉通りです。正常な判断をするためには体力の温存が最重要課題だと考えています。
 

今回の事故でお亡くなりになった方のライフジャケットは膨張していなかったと聞いています。

不確かな股聞きの情報ですが、ボンベが緩んでいたそうです。よってハンマーは働いたけれど、ニードルがボンベを突き破らず膨張しなかったのではないでしょうか?

JSAFより通達があるように自身の手持ちの膨張式ライフジャケットをそのマニュアルに沿って再点検しましょう!!また、不意の膨張に備えハンマーとボンベは予備を持っておきましょう。今回私はDHYR時に装着していたバルティックの非膨張式ハーネス付きライフジャケット(←私一番のお勧め、レティシアドゥのお二人も装着していた)とクルーセーバーのハーネス付きの膨張式を持って行っていましたが、この膨張式ライフジャケットの為の予備のハンマーとボンベは4セット持って行っていました。

仮に膨張していたとしても夜間にすぐに落水者のもとへ戻れたでしょうか?玉子丸では夜間航海する場合はすべての乗員に股紐付きのライフジャケット・ハーネスに加えライフジャケットの胸の上にストロボライトを装着もしくはラニヤード付きの防水の懐中電灯を持たせるようにしています。また、彼女には先のバルティックの非膨張式ハーネス付きのライフジャケットを付けさせています。これは膨張式で膨張しなかった場合のパニックを考えてのこと。皆さんも法定備品の股紐のないライフジャケットを付けて万歳して一度デッキから水に飛び込んでみてください。即座に股紐を装着したくなると思います。さらに膨張式のライフジャケットをご利用の皆さんもボンベやハンマーが高価でもったいないとは言わず一度トレーニングだと思って使ってみてください。どれだけチェックして正常に作動しても飛び込んだ瞬間には飛び込んだ時に発生する泡や衣服内の空気の泡がまるでライフジャケットに穴が開いていて空気が漏れる音に聞こえパニックになると思います。私がそうでした。また、落水した瞬間から完全に膨張するまでのタイムラグでも凄く不安になりパニックにもなりました。今回の事故でも今、陸の上で冷静に考えれば理論上は対処できるだろうと思っているあなた、多分私も含め実際に落水して同じ状況になれば多分対処なんてできませんよ!実際ライアハル中に180度ひっくり返えされた時に船内にいた私もイギリス人の相棒もその状態から艇が次の波で起き上がる数分間その場から動けませんでした。ハウツー本にあるようにバウに行って揺らして元に戻すなんてことはできませんでした。今考えても、実際に40ftの艇が裏返って制止してしまっているのをバウに行って揺らしたところで元に戻るかどうかは疑問ですが。

 

それでも落水者を見失った場合に、落水者に意識さえあればPLBとダイレクションファインダーが有効な救助設備になるのですが。

法律が許すなら406と121.5とGPSポジションを発信できるPLBもライフジャケットに取り付けて行きたかったですが。

日本の法律は最低限の安全備品は揃えるように規定されていますが、より一層の安全対策を高じたい場合にはサクラマークや電波法等が逆に足枷になってしまいますね。

海外レースの参加やより一層の安全対策をしたければ方法は知りませんが便宜船籍を取得し内航船の申請をするのが現行法下での可能な対策でしょうか?
 

Y旗が揚がったからライフジャケットを付ける、夜間だからハーネスを付けるではなく車のシートベルトの様に出港したら昼夜問わず常に装着するように心がけ(インショアレースでは難しいですがせめてすぐに装着できるようにスタンバイしておき)安全なセイリングライフをエンジョイしましょう!!

 

注、あくまでアマチュアの勉強中の素人セーラーの航海記と経験による安全に対する考え方です。もし、『それは違う』『それは危ない』など経験談のみならず『たら・れば』の話でも、いろいろ指摘してくだされば幸いです。
 

記、常にレースでの軽量化と安全・安心・快適なヨットライフを送るバランスと費用で悩み続けているJPN5443玉子丸の久松誠